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作成日時:2023.12.01
更新日時:2023.12.02

試合中に頭部外傷で緊急搬送…選手生命の危機から復活を遂げたFリーガー「同じ場面になっても僕は迷わずいく」宮川泰生が “あの日”から146日目の復帰戦へ

PHOTO BY名古屋オーシャンズ、勝又寛晃

宮川泰生はその日、ピッチで選手生命が失われかけた。

7月9日の第7節、名古屋オーシャンズがホームにシュライカー大阪を迎えた一戦でそれは起きた。33分、1-2でビハインドの名古屋がパワープレーを仕掛けていたシーンだ。

左サイドの宮川が清水和也へ送った縦パスがズレてタッチラインを割ってしまう。すぐに切り替えた大阪が前線にロングボールを送るなか、宮川は全速力で自陣に戻る。次の瞬間──。

落下地点へ走り込みながら飛び跳ねた宮川の頭部と、同じくジャンプしてボールを受けようとした大阪・清水寛治の頭部が激突。2人はピッチに倒れ込んだが、特に宮川は、落下する際に受け身を取ることができないまま、さらに頭部を床に打ちつけてしまったのだ。

身動きを取らない宮川の様子に、場内は騒然とした雰囲気になる。「早く!」「救急車!」どこからともなく、そんな声が響く。すぐさま担架が駆けつけ、チームメートに静かに体を持ち上げられてそこへ横たわると、宮川は場外へ。試合は中断を余儀なくされた。

「選手の治療中のため試合を中断しております」とアナウンスが流れ、選手はひとまずロッカーへと引き上げた。その後、名古屋が公式SNSに「宮川選手は意識を取り戻しました」と投稿。約40分中断していた試合は、宮川の無事が確認されたことで再開した。

名古屋はその試合で今シーズン初黒星を喫したが、勝利した大阪にも笑顔はない。結果以上に後味の悪いゲームとなってしまった。ただし、宮川自身の苦労はそこから始まった。

頭部への受傷は、一大事である。打ちどころが悪ければ日常生活に支障をきたすことも、選手生命を絶たれてしまうことさえある。サッカーでも、脳振盪は深刻な損傷として重大視されるため、復帰に向けた脳震盪プログラムが組まれている。おおむね1カ月程度で復帰へ向かうことが多いが、宮川が医師より伝えられたのは「頭部外傷」だった。いわゆる脳震盪とは異なり、サッカーにおける事例が少ないケースだったためラグビーの脳損傷からの競技復帰へのアプローチを参考に、再びピッチに立てるよう、段階的なプログラムを進めることになった。

宮川はことあるごとにSNSで自身の経過を報告し、ファン・サポーターに元気な姿を見せてきた。一方で、本当にピッチに戻ってこられるのか、見守る者にとっては、半信半疑だった。それほどに“あのシーン”は衝撃的で、最悪のケースが頭をよぎってしまうほどの出来事だった。

あれから4カ月半、かねてより取材オファーをしていた編集部に、クラブから連絡が届いた。「宮川が次の試合に復帰できるかもしれません。取材、お待たせしました」と。

本人にはあらかじめ、当時の詳細や受傷前後の出来事を聞くことへの了解が取れた。幸い、心的外傷後ストレス障害などは起きておらず、以前と変わらない、宮川の姿を確認できた。

あの日から146日、復帰を目指す12月2日の第21節すみだ戦を前に、宮川に話を聞いた。

インタビュー・文=本田好伸、大西浩太郎

※インタビューは11月22日に実施しました



「ピッチに倒れた時のことは思い出せない」

──お元気そうで本当によかったです。体調は大丈夫ですか?

はい、もう全然、なにも問題ないです。

──もし、答えたくないことがあれば言ってください。

自分自身、バンって、頭を打ったシーンを覚えていないので、どうだったとか、嫌な感じもありません。なので、なんでも聞いてもらって大丈夫ですよ。

──ありがとうございます。その瞬間の映像はご自身でも確認したのでしょうか?

1回ですね。ABEMAの中継映像を後で見返しました。見ている人からしたら、たしかにちょっと怖い映像だったかなと思いますね。

──どのシーンを覚えていますか?

パワープレーで清水和也選手に出した縦パスがズレて、全力で戻ったところで頭を打ったのですが、パスミスでボールが切れたところまでは覚えています。そこからは記憶がないです。

──自陣に戻っていったシーンは覚えていない。

ミスをしたので全力で戻らなきゃという感情は覚えているのですが、(記憶の)映像としては出てこないです。

──その後、いつ気がついたんですか?

明確に思い出せるのは次の日の朝です。救急車の中や病院に運ばれたタイミングで目が覚めたりしたのは断片的で、ちょっとずつしか覚えてなくて。ピッチで倒れている時にはチームメートからも声をかけられていたようなのですが、それも記憶にはないんです。

──目を覚ましたら病院のベッドという感じ。

そうです。体を動かすのも大変でかなり困惑しました。ただ、状況は理解できていたので、朝に目が覚めた時は、そういうことがあったんだなという認識はありましたね。

──ご家族などが隣に?

運ばれた時は家族が一緒にいてくれたのですが、病院では面会できない状況だったので、退院するまではほとんど会えなかったですね。

──意識が戻ってからは病院ではどんな状況だったのでしょう。

2日間くらいは立って歩くのも難しかったですね。病院のベッドの上で過ごしていて、トイレも車椅子で行っていました。ちょっとぼーっとするような感覚はありましたね。

──なんという診断名だったのでしょうか?その後の後遺症もなく?

医師からは「頭部外傷」と伝えられました。1、2週間くらいは起き上がると少しふらつくくらいですね。

──いわゆる脳震盪かなと思ったのですが、いずれにせよ、アスリートにとっては選手生命も危ぶまれる出来事だったと思います。それが宮川選手の身に起きてしまった。

覚えている限りでは、翌日にMRI検査をしてもらい、医師から診断結果を聞きました。脳震盪とは異なる症状だったのですが、病院の先生の話を聞くと、ラグビーのような当たり前のように選手同士が接触するスポーツならともかく、サッカーやフットサルでは珍しいようです。

──友人知人を含め、心配する連絡がたくさん届いていたのではないでしょうか。

落ち着いてからスマホを開いたら、めちゃくちゃ大量に届いていましたね。SNSでもたくさんのメッセージをいただきましたし、フットサル界の仲間からも「また挑戦しよう」と言ってもらいましたし、友人を含めて心配や、応援の言葉をたくさんもらいました。

──ABEMAでその試合の解説をされていた稲葉洸太郎さんは、小さい頃から関係が続いていることもあり「このまま中継している場合じゃない……」とすごく心配されていました。

「本当に、ずっと応援しているよ」と連絡をもらいました。心配かけちゃいましたね。



「正月におみくじを引いたら凶だった」

──復帰に向けてはどのように取り組まれたのですか?

日本サッカー協会には脳震盪の際の復帰へのプログラムはあるのですが、僕の場合は、脳震盪だけではないという感じでした。外傷も頭部だけでしたし、脳以外は特に問題なかったのですが、サッカーのものではなく、ラグビーのガイドラインを参考に進めていきました。

──段階的復帰のプログラムですよね。

軽度の脳震盪であれば、復帰までに1週間ほどのガイドラインを段階的にクリアしていく感じなのですが、僕の場合はその期間を長くして、しっかりと経過を見てきました。退院してからも定期的に受診をして、医師と相談しながら運動を始めていったという流れです。

──復帰への不安はありましたか?

負傷した当時の状況を覚えていないということもあるので、マイナスな感情はありませんでした。すぐに試合に復帰できないということをポジティブに捉えて、去年も今年も、体が細いという悩みがあったので、この機会に体を大きくしようと考えていました。

──どれくらいで復帰する想定だったのでしょう?

医師と最初に相談した時は、頭部の画像をしっかり見てから、「もしかしたら今シーズンは難しいかもしれない」「受傷から半年は置いたほうがいい」と言われました。

なので、ファイナルシーズンの最後に出られたらいいな、という想定でした。

──ということは、かなり順調に回復したということですか?

そうですね。

──復帰に向かうなかで難しさを感じたことはありますか?

多少の焦りはありました。去年のアジアカップにバックアップメンバーとして帯同させてもらったこともありましたし、日本代表は常に僕の心の中にある目標です。

特に、頭を打つまでの数試合は調子が良かったですし、(離脱している間に)日本代表の活動が増えていく時期は少しの焦りや、悔しさはありました。

──たしかに、今シーズンは開幕からパフォーマンスが上がっていて、代表メンバーに入っていく道筋も見えていたと思います。そんなタイミングでの怪我。試練のように感じました?

これは信じられる話かわからないですけど、今年のお正月に神社に行っておみくじを引いたら“凶”が出ちゃったんです。ただ、今年の後半にはよくなると書いてあったので、冗談っぽく言うと、おみくじ通りだったのかなという感じはしました(苦笑)。

今は22歳で、これから10年、15年と続くキャリアだと思っていますから、こういうことがあっても落ちずに、しっかりスタートしていこうと気持ちのふん切りもつきました。そういう意味では、決して悪い出来事ではなかったのかなと思います。

──すごいですね……。ハードな運動ができないなか、時間をどう使っていましたか?

早く復帰しなきゃという焦りがあったのは間違いないですけど、さっき言ったように体を大きくしたり、トレーニングの動画を見たり、スペイン語を勉強したりしていました。

──海外挑戦を視野に入れている。

小さい頃からフットサルを見てきて、スペインやブラジルのフットサルがすごいというのはずっとわかっていたので、その時からの夢でもあります。



「浦安が好きでオーシャンズ負けろって(笑)」

──今シーズンの名古屋はかなり苦しんでいる印象です。後ろからチームを支えられる選手の存在は大きいですし、宮川選手の離脱もかなり影響があるように感じます。

正直、僕がいなくなったのは関係ないと思っています。オーシャンズは6連覇中ですけど、Fリーグの長い歴史のなかで、ずっと1位でいるのは簡単なことではありません。

海外でも、たとえばバルセロナがずっと優勝できるわけじゃないですからね。とは言え、オーシャンズの選手が間違いなく日本でトップクラスの集団です。めぐり合わせの部分もあるのかなとは感じています。

──小さい頃から見てきた選手が、あらためてトップで見る名古屋はどんなチームですか?

僕が小さい時に見ていた名古屋は本当に無敵で、選手にもめちゃくちゃ余裕があって、どこかサイボーグのような感じにも見えていました(笑)。でも、実際に入ってみると、ベテランから若手まで日本トップクラスですし、日頃から自分のケアや、成長するために取り組んでいることを欠かさない。仕事に対する情熱も強く、本当に尊敬できるチームでした。

──チームの雰囲気も今はかなり和やかだとか。

ロッカールームでも和気藹々としています。外国人選手もみんなフレンドリーですごく温かいので、その存在がチームにいい影響を与えてくれていますね。

──幼少期に見たオーシャンズは、憧れでもあり、畏怖の念を抱くような?

僕は浦安が好きだったので、その頃からライバル関係でしたし、オーシャンズへの敵対心というか。試合を見ていても「オーシャンズ負けろ!」って思っていました(笑)。

──浦安が好きだったんですね(笑)。

はい(笑)。岐阜で生まれてすぐに東京に引っ越していて、その頃から洸太郎さんや中島孝さんに面倒を見てもらっていました。なので、本当に名古屋が宿敵という感じでした。その後、親の転勤で名古屋に移り住んで、小学生からオーシャンズに入りました。



「胸を張って復帰戦を迎えたい」

──宮川選手がそうであったように、この先もっと、子どもたちに憧れられる存在になっていくと思います。復帰して、ピッチでどんなプレーを見せていきたいですか?

フットサルへの情熱はめちゃくちゃ強いですし、名古屋という特別なクラブでタイトルを目指し続けるなかで、復帰したらすぐに戦力になって、しっかり貢献していきたいです。

──チームのトレーニングにはいつ復帰したんですか?

10月頭から復帰していました。

──チームメートはどんな反応でしたか?

退院から数週間は自宅にいて会えていなかったのですが、戻ってきた時はみんな声をかけてくれました。復帰した日は、ロンド(鳥かご)で拍手してくれたり(笑)。今は以前と変わらないというか、かつての熱量をもって、戦うために練習に取り組んでいるという感じですね。

──最初はみんなも気を遣っていた?

ペラドン(ヘディングでゴールを奪うウォーミングアップのトレーニングの一種)でも、最初は冗談めかしく「ヘッドすんなよ!」と言ってくれたりしました(笑)。笑いにしてくれたというか、僕が復帰しやすいような雰囲気を作ってくれたのでありがたかったですね。

──会えない間、一番連絡を取っていたのは誰ですか?

田淵(広史)とか、あと、アンドレシートはずっと連絡をくれました。アンドレシートは試合でゴールを決めたらユニフォームを掲げてくれていました。すごくうれしかったです。

──名古屋で言えば、宮川選手は金澤空選手甲斐稜人選手と同い年ですよね。特に金澤選手は代表にもどんどん定着していますし、彼らの存在も大きいのではないでしょうか。

そうですね。空と稜人とは、アンダーカテゴリーの代表でも一緒にやってきました。空とは、今年のU-23代表の活動でフランス遠征にも一緒に行きましたね。

もちろん、自分もすぐに代表に入りたいという気持ちも、そこにいない悔しさもあります。でも、今はクラブのチームメイトなので、彼らと一緒に上を目指そうという気持ちですね。

──今の代表チームは戦術の変化もあります。そうしたなかでもフィクソに求められる役割はかなり大きいですよね。オリベイラ・アルトゥール選手や石田健太郎選手、それに高橋響選手伊藤圭汰選手などが入っていますが、宮川選手はそこに割って入っていく。

アルトゥールはもちろんのこと、日本には本当にいいフィクソがたくさんいます。今の代表チームのフィクソはみんなタイプが違います。そのなかで自分は、ディフェンスとパス、それに、小さい時からフットサルを見ている戦術眼などがアピールポイントかなと思います。

──では、復帰を待ち望んでいたファン・サポーターへのメッセージをお願いします。

大きな出来事があって、すごく心配してくれたファン・サポーターもいっぱいいると思います。とにかく僕は、クラブの優勝に貢献したいと強く思っています。なので、このオーシャンズの一員として、強い気持ちでプレーする姿を見てもらいたいと思います。

みなさんにオーシャンズを応援してもらえることが僕たちの力になります。一生懸命、最後までオーシャンズの優勝に貢献していきたいと思います。

──復帰が楽しみです。

僕もすごくワクワクしています。毎日このクラブでトレーニングを重ねてきましたし、自信をもって、胸を張って復帰戦を迎えられたらと思います。

──もしまた同じような場面があったら……。

そこは迷わずいきます。絶対に勝たないといけない時期ですし、なにが起きても問題ありません。チームのタイトル獲得のために全力で戦うだけですね。

12月2日(土)

時間・会場 カード 中継 解・実
16:30
墨田
すみだ vs 名古屋 ABEMA 実況:福田悠
解説:稲葉洸太郎
解説:北原亘



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