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作成日時:2024.09.06
更新日時:2024.09.07

【独占インタビュー】憧れのクラブ・FCバルセロナで感じた手応えと課題。原田快が歩む「世界最高峰」への旅路

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「将来はバルセロナの選手になりたい」

幼少期から掲げていた夢を実現し、誰もが憧れる世界有数のビッグクラブのユニフォームを手にした原田快。

Fリーグで圧倒的な違いを見せた鋭いドリブルはスペインでも高く評価され、原田は加入1年目の2022−2023シーズンから、スペイン2部リーグを戦うバルセロナBの主力として18試合に出場した。

そして2年目の昨シーズンには、12月9日に行われたコルドバ戦で、ついにトップチームの選手としてリーグ戦デビュー。日本のフットボール界にとって「歴史的瞬間だ!」と大きな話題を呼んだ。

自分の技術は、世界でも通用する──。

その自信をつける一方で、1試合での出場時間はわずか2〜3分。攻撃のアクセントとしてスポットでの起用が続き、消化不良が続いた。

そんな現状を打破するべく、原田はスペイン3年目の今シーズン、ショタFSへの期限付き移籍を決断した。

「世界最高峰の選手として、今度はトップチームで活躍できるように」

この丸2年での手応えと課題と向き合い、2年間の“武者修行”に意気込む原田に、話を聞いた。

取材・文=北健一郎
編集=青木ひかる

インタビューは20248月17日に実施しました



メッシも過ごした「ラ・マシア」で2年間生活

──日本に帰ってくるのはいつぶりですか?

ちょうど1年くらいですかね。久しぶりに日本のご飯を食べたらすごく美味しく感じて、なんだかホッとしました。今は町田の練習に参加させてもらいながら、地元の京都に帰ってというのを3往復ぐらいしています。

──スペインリーグに挑戦してから丸2年が経ちました。言語の違いも含めて向こうでの生活には慣れましたか?

スペイン語については、移籍した当初は全く話せなかったから、練習メニューもわからない状態でした。なので最初の3カ月は「見て覚えろ」と言われてましたね。1年目は日常生活も、翻訳アプリに頼りながらコミュニケーションをとっていました。

でも、そのままだとなかなか身につかないから、思い切ってアプリを使うのはもう辞めようと。そしたらどんどん喋れるようになりました。

今は普通に話せるし、町田に帰ってきてからもバナナ(クレパウジ・ヴィニシウス)とか(森岡)薫さんとスペイン語で話したり、ビゴージの通訳をすることもあります。

──ゼロの状態から、ものすごいスピードで上達したんですね。

ラ・マシア(バルセロナの育成組織の寮)で生活していたのですが、そこのみんなとスペイン語で交流しつつ、昼間は語学学校にも通って勉強してました。あとは、ラ・マシアにも家庭教師の先生が来てくれて個人レッスンもしてくれていたので、だいぶ喋れるようになりましたね。

──あの有名な!どんな生活をしていたのか、もうちょっと詳しく教えてほしいです!

家が遠い選手が住むことになっているんですが、サッカーとフットサルだけではなく、バスケ、ホッケー……。いろんな競技の選手がいて、下は9歳から、上は23歳くらいまでが共同生活をしていました。

18歳以上と女子選手は1人部屋、小さい子は4人部屋で、たしか13歳から2人部屋だったはず。
今年セレッソ大阪に加入した、仁胡(髙橋センダゴルダ仁胡)選手もいたので、一緒に過ごすことが多かったです。

──寮も語学学校も個人レッスンの費用も、クラブが負担してくれていたんですか?

そうです。1年目は学生ビザだったのでプロ契約ではなかったんですけど、2年目からは選手としてのお給料も貰えていたので、貯金ができました(笑)。

──ちなみに、2年目のお給料は……?

だいたい円に換算すると、23〜24万円くらいですかね。でも、食費も出してもらっているから、生活費の支出はほぼゼロ。

ピト選手とかフェラオ選手くらいになると、たぶん1億円くらいはもらっているんじゃないかな。もちろんお金のためだけにやっているわけじゃないですけど、やっぱり夢がありますよね!

新天地への移籍の決断は、「3時間」で

──改めて、憧れのクラブで過ごした2年目のシーズンを振り返って。

1年目に比べてBチームでの出場時間が減ってしまい、練習も含めてもAチームの活動に帯同していた時間のほうが長かったと思います。
いい経験はできましたけど、監督から「こうだから」と言われているわけではなかったので、あまり納得はできていませんでした。

──考えられる原因は何かあるのでしょうか?

監督からは、常に攻撃で違いを出して自分の強みであるアシストやゴールを生み出すことを常に求められていました。そこは自分でも自信があったのですが、Bチームはフィールドの選手が9人いて、そのうちの5人が左利きなんですよ。そこの競争が激しかったというのは一つあるかもしれません。

あと、日本でもスペインでも言われ続けているのは「オフェンスについてはもう世界で通用する力をもっている。だから、ディフェンスとフィジカル面を強化してほしい」ということ。

そのために筋トレにも力を入れて、守備の時の入れ替わりや最後尾まで戻りきるということを、意識はしていたんですけどね……。

──ショタFSへの移籍を決めたのは、いつごろだったんですか?

シーズンが終わって、日本に帰ってきたときはまだ全然話はなくて、バルセロナで来シーズンもやるつもりでいました。でも、帰ってきて3日後くらいに急に代理人から連絡が来て、「ショタからレンタル移籍のオファーが来ているけどどうする?」「3時間以内に決めてほしい」と。

この2年はBチームでの活動がメインで、トップチームの試合は出れても2〜3分くらい。だから、代理人はショタでコンスタントに出場できた方がいいんじゃないかとアドバイスをしてくれて、たしかになと思って、期限付き移籍を決めました。

──ずっと憧れていた「バルセロナ」の肩書きや恵まれた環境から一度離れる決断は、簡単ではなかったのでは?

そうですね。正直、周りからの見られ方も変わるし、今いる場所から離れると言うのは怖さもあります。でも僕は「バルセロナ」という名前だけにこだわって、ずっとBチームで主力としてプレーしていくつもりは、もともとありません。あくまでトップチームで活躍することが目標です。

だから、ショタで経験を積むことが今の自分にとってはベストな選択なんじゃないかな、と。親にも相談しましたけど後押しする言葉をもらったし、大変だとは思うけど、今から楽しみです。



勝っている時に試合に出るには、守備力が必要

──快選手は、天才肌で試合でも“遊び心”を忘れないテクニシャンのイメージです。一方で、スペインのビッグクラブでそういったプレーが許される選手になるには、ただ試合に出るよりももう一つハードルが高いのではと、少し心配していたのですが……

自分の強みを出すということに関しては、正直そこまで複雑には考えていないというか(笑)。いつもどおりのマインドで、いい意味で“テキトー”というか。

チームの仲間も、そんな僕を否定するとかはないですし、試合に出たら「自分がやりたいことをやれ」とフェラオ選手やピト選手からも言われていて、そのとおりにしています。

もともと僕自身、上下関係が厳しいのは好きではないし、自分より年下に「ココロ!」と言われても何も気にしない。逆にバルセロナでは年上の選手にも、「動いてよ」とか「俺に出せよ」という要求も普通にしています。

さすがに日本人の年上の選手にいきなりそういう態度は取らないですけど、仲良くなってからは敬語はあまり使わない。そこは日本でも、代表でも、スペインでもずっと変わらないですね。

──それでも、やはり守備の力は求められるんですね。

たとえば負けている時であれば、僕の攻撃力やチャンスメイクが生きる場面がたくさんありますけど、勝っている時に試合に出るには、守備力が必要になってくる。いくら攻撃が得意だと言っても、ある程度はディフェンスもレベルアップしないと試合に出るのは、難しいのかなと。

例えばチームメートのピトとかと1対1をしても、すぐ股を抜かれちゃうんですよ。すごく悔しいし、ムカつきます(笑)。

UEFAの準決勝と決勝は、僕とスペイン代表のカテラと、ブラジル人選手のマテウスはディフェンスができないから、自陣で相手のキックインになったら、誰か一人は変えるよと言われてました(苦笑)。

──苦手というよりも攻撃にタレントを持っているぶん、そもそもあまり練習してきてないのかなという印象もありますが……。

そうですね(笑)。ひたすらボールを持って足元でこねてということばっかりやっていたし、自分の親が監督でしたけど、方針としては全く守備的なチームではなかったので……。

特にマンツーマンディフェンスは苦手で、ゾーンの方がまだできる。わがままかもしれないけど、守備であんまりパワーを使いたくないんですよ。それだけでヘトヘトになっちゃうし、ついていけなくなって簡単に裏を取られてしまう。そこはもっと鍛えないといけないです。

あと3回は、W杯に出れるチャンスがある

──思い返せば、2022年のアジアカップの決勝も「攻撃特化」の起用でしたよね。

たしかに、「相手ボールになったら、急いでベンチに帰って来い」って言われていました。

守備の能力だけじゃなくて、体が全然できていなかったというのもあると思いますけど、あのときドリブルだけでかわして数的優位を作るということだけ任されていましたね。

──そこから、今年は2年ぶりに同じ舞台に立って、さらに活躍を見せるチャンスでもありましたが……。

招集もされていてクラブからもOKをもらっていました。でも、直前にシーズンの途中でトップチームに怪我人が続出してしまって、Bチームの選手がAの試合に出ることになった。そしたら今度はBチームも人が足りないという状況になって、1週間前に急遽「やっぱり行かせられない」と言われてしまいました。

──結果として、日本代表はグループステージで敗退が決まって、W杯出場を逃してしまった。ショックはかなり大きかった?

アルトゥールと、カズ兄(清水和也)が怪我をして心配はしましたけど、それでもグレさん(木暮賢一郎元日本代表監督)も含めて、メンバーを見ても日本の最高峰の選手が揃っているから、大丈夫だろうと僕自身も思っていました。

悪気があるわけではないのはわかっているけど、大会が終わってからはチームメートからも「なんでW杯行けないの?」とからかわれたりもして、めちゃくちゃ腹が立ちました。

でも、自分は現地にいたわけでもないし、もう過去には戻れない。現実を受け止めて、また頑張るしかないです。

ただポジティブに考えるとすれば、W杯期間はプレシーズンとも重なっているから、W杯出場も決まってメンバーにも選ばれていたら、ショタに移籍することはたぶんなかった。

新しいチャレンジの選択肢ができたのは、個人のことだけ考えると決してマイナスではないのかなとは思います。もちろん、出たかったですけどね。でもバルセロナでは、「4年後も8年後もあってあと3回は、W杯に出れるチャンスがあるぞ」と。なので、今は前向きに捉えるようにしています。

──代表も体制が変わり新たな舵を切りますが、心境の変化などはありますか?

グレさんは、僕が全然戦力にならない時から呼んでくれて、いろんなことを経験させてもらいました。

ここまで来れたのは、グレさんもそうだし、甲斐(修侍)さん、ルイス(ルイス・ベルナット)の3人の監督のおかげだし、とても感謝しています。でも、監督が変わったからといって嫌だとか、やりやすいとかやりにくいというのは僕自身あまりないです。(高橋)健介さんもずっとコーチとしてやってきてくれていて、これまではちょっといじったりイタズラをしたりしながらコミュニケーションを取ってきていたけど、関係性は変わるので様子を見ながらやりすぎないように(笑)。

チームのコンセプトとかもまだわからないですけど、とりあえず呼んでもらえれば頑張ります!という気持ちです。



目標は「最短の2年で戻ること」

──9月から新たなチームでのシーズンが始まります。ショタは過去に吉川智貴選手が在籍していたことでも知られていますが、どんなチームなんでしょうか?

今名古屋の監督に就任したイマノル監督がこのチームを長年率いていましたが、若手をすごく大事にしてくれる環境だと聞いていて、成長できそうな環境だなとはずっと思っていました。

ただ自分が「行きたい」と言って加入しても、試合に出れる可能性は少ないだろうなあと。そしたら、タイミングよくショタから僕にオファーを出してくれました。

──長年携わってきた監督が離れて、大きく変わった部分はなさそうですか?

コーチがやり方を引き継いでいるので、まったく変わらないみたいです。

吉川(智貴)選手がいた時はプレーオフに入るくらいの力があって、少しずつ成績は落ちてしまっていますが、若手育成のチームでありながら、1部でも落ちない強さをもっている。国内での評判も高さも変わらないです。

──戦術のスタイルとしては?

クワトロベースで、マンツーマンディフェンスです(笑)。僕、クワトロも苦手なので、武者修行です。

──バルセロナの監督からは、期限付き移籍について何か話をされましたか?

監督からは、特にはなにもなかったですね。でもクラブのスポーツダイレクターは、「ココロの代わりの選手を探すのは大変だけど、レベルアップを優先してほしいからいい選択だと思う」と言ってくれました。

もともとクラブとして期限付き移籍は前例は少なかったみたいなんですが、ここ最近「若くていい選手を迎え入れる」という狙いが強まっているみたいで、背中を押してくれました。今のところ、僕ともう一人違う選手が、それぞれ別のクラブに2年間行くことが決まっています。

──レジェンド選手が多い印象ですが、少しずつ世代交代をしようとしているということなんですね。

たぶん、そうだと思います。

僕のことも完全に手放すのではなく、レンタルでキープしておいてくれているのも、将来的に必要な選手として成長して戻ってきてほしいと思ってくれているからこそなのかな、と。だから期待に応えてもう一度バルセロナで、恩返しがしたい。

そのために、まずはショタで結果を残さなければ当然戻ることはできないので、本当に勝負所ですね。

──個人としても、また新たな一歩を踏み出しますが「世界最高峰の選手になる」という目標への道筋は、現時点で見えてきていますか?

今バルセロナのチームメートに、23歳のママド・トゥーレという背が高くて速いフランス人の選手が活躍しています。

彼を見ながら「3年後の自分」を考えると、やれる自信はある。確信とまではいかないですけど、あのくらいのレベルに到達して当たり前だよなとは思っています。

──最後に新シーズンを迎えるにあたっての目標を、聞かせてください。

個人として一番に考えているのは、バルセロナに戻ること。そのために、点を取ったりアシストをして、目に見える活躍をしないといけない。

でも、それは僕のなかではまずチームありきの話なので、チームがいい成績を残すことが最優先です。

ショタも昨シーズンはあまりうまくいかず、監督と一緒にファビーニョも名古屋に行ってしまった。彼に代わるアタッカーを探していたという背景もあって僕に声をかけてくれたとも思うので、チームも勝って、自分もゴールとアシストをして、バルセロナ側にも必要な選手だと思わせて、帰る。

最短の2年後に、「バルセロナのトップチーム」に戻ることが今の目標です。



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