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作成日時:2026.02.19
更新日時:2026.02.19

【連載】その4 悲喜こもごもの関東リーグ参入戦/その5 悲願達成/その6 充実の関東リーグスタート|第7章 ワールドカップ|第2部 栄華期|フットサル三国志

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【連載】フットサル三国志|まとめページ 著者・木暮知彦

第2部  栄華期

第7章 ワールドカップ(2004年2月~2004年11月)

その4 悲喜こもごもの関東リーグ参入戦
その5 悲願達成
その6 充実の関東リーグスタート

その4 悲喜こもごもの関東リーグ参入戦

アジア選手権の開催1カ月を切った2004年3月27日、28日、国内では日本代表に負けてはならぬと早くも熱い戦いが始まっていた。それは第6回関東リーグの参入戦で、小田原アリーナで行われた。第4回はカスカヴェウ、第5回はシャークスと初参入、初優勝が続いたが、同じく有望なチームが参入してくるのであろうか。

参入戦は、関東リーグ11位、12位のチームと各都県1位もしくは2位チームとが参入を懸けて戦うもので、毎年、悲喜こもごもの結果となる。この年の参入戦も同様に大きなドラマがあった。

各チームは、関東リーグ11位のグループと12位のグループに抽選で分けられ、各々トーナメントの優勝チームが関東リーグに昇格できる。まずは11位グループの結果を紹介しよう。

ベスト4には、渋谷ユナイテッド(東京都第2位)、小金井ジュール(関東リーグ11位)、ブラックショーツ(神奈川県代表)、高西クラッシャーズ(埼玉県代表)が残った。

都リーグ2位の渋谷ユナイテッドは、代表の松田尚が1998年に設立というから、ゾット早稲田よりさらに歴史がある。関東リーグ昇格を目指して、このチームは次々と戦力強化を図っていた。2002年から2003年にかけて、すでに紹介したサッカーの強豪チームFCベンガから垣本右近、菊池完、いずれはボツワナと合体する森のくまさんから北原、稲葉らを加え、東京都2部、1部と昇格、本大会に臨むこととなった。また、ゴールキーパーには古庄亨(カスカヴェウ、プレデター)を1月に加えている。

11位グループ、最初の準決勝は、小金井ジュールと渋谷ユナイテッドの対戦となった。前半は1ー1の互角であったが、後半に入ると渋谷ユナイテッドの稲葉、菊池の活躍で、4-2で渋谷ユナイテッドが勝利を収めて決勝に進む。この時点で、小金井ジュールの降格が決まった。第2回関東リーグ優勝、第1回地域チャンピオンズリーグ優勝の成績を残した古豪も新興勢力には敵わなかったのである。

もう1つの準決勝は、高西クラッシャーズとブラックショーツの戦いとなった。結果は1ー1で突入したPK戦をブラックショーツが制して決勝に進む。高西クラッシャーズは、2年連続PK戦負けという不運に見舞われた。結果論かも知れないが、上澤貴憲(のちに名古屋オーシャンズ、府中アスレティックFC、日本代表)が世に出るのが遅くなった要因かも知れない。結局、高西クラッシャーズは関東リーグが2部制になった2007年の第9回関東リーグで2部へと昇格する。無念なことに参入戦を勝ち抜く機会は与えられなかった。

11位グループの決勝、ブラックショーツ対渋谷ユナイテッドは、壮絶な戦いとなった。戦力的には渋谷ユナイテッドに分があったが、準決勝で負傷した垣本が出られず、就職活動のため遅れた北原がユニフォームチェックに間に合わず、出場できないというハンデを背負うことになってしまった。

結果は、前半は3ー2でブラックショーツがリード、後半もブラックショーツがリードすれば渋谷ユナイテッドが追いつく展開で、残り3分まで6ー5でブラックショーツがリードしていた。しかし、なんと残り45秒で渋谷ユナイテッドのゴールキーパー古庄のシュートが決まって6ー6の同点になり、勝負の行方はわからなくなった。

しかも残り3秒、渋谷ユナイテッドは第2PKのチャンスを迎える。しかし、無情にもこれは決まらず、PK戦に突入した。しかし、もはや渋谷ユナイテッドは精魂使い果たしていたのだろう、PK戦はブラックショーツが制し、渋谷ユナイテッドは昇格とはならなかった。

このように壮絶な戦いとなったが、この結果が関係者にさまざまな岐路をもたらすことになる。まず、渋谷ユナイテッドはその後、稲葉、北原、垣本、菊池らの中心選手を失い、建て直しを図るものの2009年にはついに東京都1部の活動を中止、エンジョイチームとして再スタートすることとなった。このことはあまり報じられていない。

稲葉は代表候補に選ばれたことで木暮らとの親交があった縁もあり、第6回関東リーグからファイルフォックスに移籍することとなった。そして、第6回アジア選手権の日本代表、翌年の第10回全日本選手権優勝と一気にひのき舞台に踊り出る。北原はいったんは就職をするが、フットサルへの想いを断ち難く、翌年ボツワナに入団、関東リーグ昇格に貢献するとともに、本格的にフットサル選手を目指すこととなった。おそらく、稲葉の活躍が刺激になったのであろう。北原は、のちに名古屋オーシャンズのキャプテン、FリーグでMVPを受賞するまでになった。

垣本は、のちにカフリンガ東久留米を設立し、2006年に関東リーグ1部昇格を果たす。垣本はその後、関東リーグ得点王になるなど、大いに活躍した。

ブラックショーツには森岡薫がいた。昇格した年はそのままプレーしたが、関東リーグを経験したことでさらにステップアップすべく、翌年はファイルフォックスへと移籍。のちに大洋薬品バンフで全日本選手権優勝、名古屋オーシャンズではFリーグ初代MVPを獲得するなど、フットサル界の頂点に駆け上がった。

ちなみに、名古屋オーシャンズでチームメイトとなり、日本を代表するピヴォとフィクソとなった森岡と北原が、2度とないこの日限りの壮絶な戦いの参入戦に居合わせたことは因縁めいたものを感じる。もし、渋谷ユナイテッドが残り3秒の第2PKを決めていたら、PK戦に勝っていたら、彼らにはどんな運命が待っていたのであろうか。

12位グループは、ベスト4にセニョールイーグルス(関東リーグ12位)、東京都1位のゾット、神奈川1位のミリオネア横浜、茨城2位のサルバトーレソラが残った。

1位のゾットは早稲田大学サッカー同好会メンバーで結成したフットサルチームである。結成は2000年春という歴史をもつ。メンバーには、清野潤(のちにゾット代表兼監督)小林等(のちにスタッフ兼選手)、松田啓佑、小笹祐介、中野泰宏、美好裕輔、日本代表にも選ばれたゴールキーパー渡邊博之(のちにバルドラール浦安、ゾットに復帰)らがいた。結成時には大学1、2年生だったが、この年はすでに卒業、社会人になっていた。同じ大学のOBが多く集まって関東リーグに挑戦するという異色のチームである。

このチームとファイルフォックスとは縁がある。まず、ファイルフォックスと練習試合や都カップ戦で対戦、これに敗れた悔しさから本格的にフットサルに取り組んだことである。それは、府中水元クラブやアズーがサッカーチームに敗れて本格的にフットサルに取り組んだ動機と似ている。

違いは、フットサルチームがサッカーではなくフットサルチームに敗れたことがきっかけになったことだ。時代の流れを感じる。また、2001年にはファイルフォックス設立者の鵜飼孝を招き入れ、指導を仰いで強くなった。

それ以前は自分で勉強したものだが、指導を受けることができるようになった。それだけ、フットサルの選手層が厚くなったことを物語っている。

さて、この参入戦がきっかけでのちに解散したチームがある。その戦いとは、1回戦のセニョールイーグルス対メイクナインである。両チームとも千葉県のチームで、メイクナインは第2回に関東リーグ入りし、第4回で11位となり降格、一方、セニョールイーグルスはその時の参入戦でメイクナインと入れ替わりで関東リーグに昇格した因縁のチーム同士である。皮肉にも、その両者が残留・昇格を争い直接対決することになったのだ。セニョールイーグルスは昇格後1年で最下位となり、再び降格する危機であるため絶対に負けられない。一方のメイクナインも、ここで復活できなければ2度とチャンスはないと思っていた。

結果は、6ー5でセニョールイーグルスが勝った。メイクナインは先制点を奪い、一時は2点差をつける健闘を見せたが、一昨年位降格した際の主力が抜け、登録メンバーが10人という苦しい選手層が響いたか、1点差で涙を飲んだ。この結果、メイクナインは解散、ここにも参入戦をきっかけに表舞台から身を引くチームが現れた。しかし、勝ったセニョールイーグルスも次のゾット戦に敗れ、残留とはならなかった。

そして、12位グループを制したのは、ミリオネア横浜を4ー2で下したゾットであった。チーム結成から4年、ファイルフォックスに勝つことを目標に研鑽を重ねた努力が実り、ついにファイルフォックスと同じ土俵に立つことができたのだ。しかし、この時は、これが1年しか持たず、苦難の道が待っているとは誰も想像できなかった。

悲喜こもごもの関東リーグ参入戦はこの先もドラマを生み続けるのである。

さて、お宝写真は、壮絶な戦いの結果、それぞれの運命を大きく変えた渋谷ユナイテッドとブラックショーツの戦いに臨んだ4選手にしよう。左上から順番に、森岡薫、この写真は木暮がスペインに渡る送別会の時の写真で、森岡はより高みを目指してブラックショーツからファイルフォックスに移籍した。むろん、その2人が再び名古屋オーシャンズでチームメイトになるとは両者とも思ってもみなかったであろう。

次に稲葉、これは渋谷ユナイテッドからファイルフォックスに移籍した後のファイルフォックスでの練習時の写真である。もし、渋谷ユナイテッドが関東リーグに昇格していたら、稲葉にはどんな運命が待っていたであろうか。森岡と稲葉はその後、日本代表でもチームメイトになっている。

次に北原である。この写真は、関東リーグプレスという関東リーグの広報誌インタビューの写真であり、バリバリの関東リーガーになった。北原も、もし渋谷ユナイテッドが関東リーグに昇格していたら、すんなり就職したのであろうか。その後、森岡と北原は名古屋オーシャンズのチームメイトとなった。

最後は、垣本である。この写真は、だいぶ後の第10回関東リーグで得点王になった時のリーグ表彰写真である。垣本は参入戦敗戦の後、しばらくしてカフリンガ東久留米を立ち上げ、代表兼選手としてチームをけん引、2007年の第9回から関東リーグに参入し、2010年の第12回関東リーグでついに優勝を果たす。森岡、稲葉、北原はFリーグに上がったが、垣本は敗戦をバネにその後も関東リーグの現役レジェンドとして長らく活躍した。今は、カフリンガ東久留米の代表を務めている。それぞれの運命を分けたかも知れない参入戦であった。

その5 悲願達成

2004年11月に台北で行われる第5回ワールドカップに出場することがフットサルに関わる人の悲願であった。4月16日から開催された第6回アジア選手権は、参加国は18カ国、そのうち3位以内に入ればワールドカップのアジア代表として出場できる、いわゆるワールドカップ最終予選であった。

18チームは4グループに分けられ、予選リーグのグループ1位、2位が決勝トーナメントに進出できる。イランは前回優勝、日本は2位であったから、それぞれが予選グループ1位となれば、決勝までは当たらない組み合わせとなった。これまで奮闘してアジアで2位の座を確保してきたかいがあったというものである。日本のライバルは、イランを筆頭にタイ、ウズベキスタン、中国と目されていた。

日本はグループCに入り、レバノン、キルギスタン、フィリピン、マカオと、宿敵イランはグループAに入り、ウズベキスタン、インドネシア、カンボジア、香港と対戦する。タイは、マレーシア、中国、グアムのグループDであった。

決勝トーナメントの組み合わせは、日本がグループ1位で通過した場合、グループDの2位はおそらく中国と当たる。一方、イランがグループAの1位で通過することはほぼ確実であるため、日本はグループAの2位ウズベキスタンと準決勝で当たることが予想された。タイはイランと対決するため、日本は3位決定戦にまわらない限りタイとは当たらない。要するに、グループを1位で通過、中国、ウズベキスタンを破って決勝でイランと対決するという筋書きができていた。

では、その筋書きに沿って戦うのは、2月の合宿、3月のオーストラリア遠征を経て以下のメンバーに絞られた。

■第6回アジア選手権 メンバー ※所属は当時
GK 川原永光(田原FC)
GK 遠藤晃夫(ファイルフォックス)
FP 鈴村拓也(マグ)
FP 相根澄(プレデター)
FP 難波田治(ファイルフォックス)
FP 前田喜史(カスカヴェウ)
FP 藤井健太(マグ)
FP 市原誉昭(プレデター)
FP 稲田祐介(カスカヴェウ)
FP 比嘉リカルド(FC琉球)
FP 金山友紀(カスカヴェウ)
FP 木暮賢一郎(ファイルフォックス)
FP 稲葉洸太郎(渋谷ユナイテッド)
FP 小野大輔(フトゥーロ)
GK 定永久男(ファイルフォックス)
(定永は、大会中にアクシデントがあった場合に登録可能な予備選手として招集。結局ベンチ入りすることはなかったが、練習を含めてサポートメンバーとして献身的に貢献した。サッポに「最大の功労者はサダ」と言わしめた)

フィールドプレーヤーの構成を分析すると、カスカヴェウから3人、ファイルフォックスから2人、プレデターから2人、マグから2人、フトゥーロ、FC琉球、渋谷ユナイテッド各1人となっている。しかし、よく考えてみると、小野と比嘉は以前はファイルフォックスでプレーしていたわけなので、ファイルフォックス系と考えると4人になる。一方、プレデターの相根、市原も昔はカスカヴェウに所属していたので、カスカヴェウ系は5人になる。ちなみに相根はこの前のシーズンの後半からプレデターに移籍していた。

つまり、三国志の両雄がフィールドプレーヤーの大半を占めていることになる。このように考えると、合従連衡を繰り返しながらも、同じ舞台で死闘を演じてきた集大成が日本代表であることがよくわかる。

ちなみに、こののち、藤井は、関西からプレデターへ移籍、稲葉は都リーグからファイルフォックスへ移籍、同じ舞台に上がることとなった。

もう一つの視点は4年前、バンコクの悲劇と言われ、あと一歩で世界選手権を逃した経験者は、難波田、鈴村、市原、相根、前田、藤井、ゴールキーパー定永の7人で、約半数を占めることである。それだけ、今度こそという気持ちが入っていた。

こうしてみると、悲願とは言え、経験もある、気持ちもあるということで、ワールドカップ出場は当然だったかも知れない。実際、予選リーグは、レバノンに4ー0、キルギスタンに4-1、フィリピンに12-0、マカオに17-0と難なく突破、決勝トーナメントも、予想通り、中国に5-2と勝ち進んだ。そして、迎えた準決勝のウズベキスタン戦、もはや、前回のバンコクの悲劇は起こらなかった。4-2で快勝、少なくとも2位を確保し、悲願のワールドカップ出場を決めたのであった。

しかし、決勝のイランは、先制点を挙げるものの実力でねじ伏せられて3-5で敗れ、優勝はならなかった。ワールドカップ出場の安堵感があったかも知れない。結局、またしても2位に終わり、イランを破ってのアジア選手権優勝は第8回大会まで待たねばならなかった。

■第6回アジア選手権 試合結果
予選リーグ
4月16日 ◯日本 4-0 レバノン 金山、稲田、木暮、比嘉
4月19日 ◯日本 4-1 キルギスタン 木暮、比嘉、難波田、川原
4月20日 ◯日本 12-0 フィリピン 難波田2、市原2、前田、藤井2、稲田3、遠藤、稲葉
4月21日 ◯日本 17-0 マカオ 比嘉2、木暮3、金山3、小野2、鈴村、難波田、稲田3、前田、相根
決勝トーナメント
4月22日 ◯日本 5-2 中国 木暮、難波田、小野2、藤井
4月23日 ◯日本 4-2 ウズベキスタン 小野、藤井、木暮2
4月24日 ⚫︎日本 3-5 イラン 木暮、比嘉、鈴村

お宝写真は、準決勝のウズベキスタン戦に勝利し、あとはイランとの決勝戦を残すのみ、すなわちワールドカップ出場決定の時のものである。最初はそれぞれが涙ながらに抱き合い、喜んでいたが、いつしか、日の丸の旗が持ち出され、そのまわりに選手全員が集まり、旗を上下に揺さぶってそれぞれが何かわからないが叫んでいる。

苦節6年、クアラルンプール、バンコク、テヘラン、ジャカルタ、テヘランそして、ついにこのマカオの地でつかんだ悲願のワールドカップ出場、選手たちは何を叫んでいたのだろうか。

その6 充実の関東リーグスタート

アジア選手権が終わった2004年5月1日、第6回関東リーグが始まった。しかし、話を少し戻して、その約1カ月前の4月11日に行われた第4回地域チャンピオンズリーグについて報告しておこう。本来、地域チャンピオンズリーグは、その年の地域チャンピオンを決める大会であるから年度内に行われるべきものだが、この時はまだ、年度にまたがって行われていた。

優勝は、決勝戦で北海道のダイワスポーツ札幌を7ー4で下したシャークスであった。シャークスのメンバーには、広瀬孝夫(のちにファイルフォックス)、岩本健久、松浦英、下山修平、横山哲久、村松淳二、鵜飼、関新、ゴールキーパー角田麻人らがいた。一方のダイワスポーツ札幌には、監督の小野寺隆彦、鈴木則和(のちにエスポラーダ北海道コーチ)、神敬治(のちにパサジイ大分、エスポラーダ北海道)らがいた。

シャークスは、関東リーグ優勝に続いて地域チャンピオンズリーグに優勝したので2冠を達成したことになる。のちにシャークスは、Fリーグを目指して関東リーグを離脱、静岡県リーグに移る行動に出るが失敗、結果的にチームは消滅してしまう。したがって、彼らにとってこの優勝がFリーグに最も近づいた時だったと言えるだろう。

ちなみに、関東からはシャークス以外にカスカヴェウと府中アスレティックFCが出場していたが、カスカヴェウは前田、金山、稲田が日本代表で不在であり、準決勝を4ー7のスコアでダイワスポーツ札幌に敗退、府中アスレティックFCは、シャークスに1ー1からPK戦の末に敗退している。両チームは同時3位となった。

そして、5月1日、第6回関東リーグが始まった。ワールドカップに出場できるかも知れない期待が現実のものとなり、全国リーグ設立の動きがちらほら日本サッカー協会から聞こえてきたのもこの時期である。

この頃、日本サッカー協会フットサル委員会副委員長の松崎康弘は、フットサルマガジンピヴォ!のインタビュー記事の中で「早い段階で全国リーグを立ち上げたい」と述べている。また、その前提には、ワールドカップに出場できることともあるとしていた。それほど、アジア選手権での結果は大きかった。

となると、全国リーグを目指すチームにとっては、実力と運営能力が重要になり、この頃からその準備に取りかかるチームが現れた。その先駆者がプレデターである。彼らはすでに紹介したとおり、ブラジル帰りの市原を獲得していたが、この年からさらに大型補強を行い、戦力強化を図った。カスカヴェウから相根を第5回関東リーグの終わり頃に獲得、この年は同じカスカヴェウから昨シーズンの関東リーグ得点王の安藤信二、カンカンボーイズから2003年度の関西リーグ得点王の江藤正博を獲得している。

さらに、北海道のディベルティードから若い高橋健介(のちにスペインのセゴビア、バルドラール浦安監督、インドネシア代表監督、日本代表コーチ、監督)がデビューしている。江藤は、第8回全日本選手権でロンドリーナが優勝した際、決勝の相手にいた選手であり、2003年のタイランド5の日本代表に選ばれている。また、運営能力の面でも、2003年から法人化を行い、フットサル界に「契約」という概念を持ち込んでいる。実際、スポンサーとなる企業が増え、経営面でも法人化にしておかないと不都合が生じるようになっていた。

府中アスレティックFCも同様で、同じく2003年にNPO法人を立ち上げている。戦力的な大型補強はないものの、昨シーズンの関東リーグ、地域域チャンピオンズリーグとも3位の経験から、完山徹一、伊藤雅範、中沢亮太(のちにカフリンガ東久留米)、森拓郎、三井健(のちにファイルフォックス、デウソン神戸、バルドラール浦安、府中アスレティックFC)らのレベルアップが期待された。

ちなみに完山は鳥取県出身で、フットサルテクニックで有名な奥山蹴球雑技団を経て上京、府中アスレティックFCに前年の第5回関東リーグの終盤から入団した。高校時代はアルゼンチンにサッカー留学した経験の持ち主である。のちに名古屋オーシャンズに移籍、Fリーグにデビュー。現在は立川アスレティックFCに戻っている。

以前、読売ユース出身、FC東京と紹介した伊藤雅範は、さらに2003年の第4回の終盤から参加したが、のちにファイルフォックス、デウソン神戸と移籍、日本代表にも選ばれた。その後、バサジィ大分の監督、長野県の日本ウェルネススポーツ大学及び日本ウェルネス高等学校でフットサルの指導に当たった。

一方、迎え打つ2強のファイルフォックスは、稲葉、岩見裕介(のちにステラミーゴいわて花巻)らを加え、カスカヴェウは、マグから狩野新(のちにペスカドーラ町田、ヴォスクオーレ仙台、バサジィ大分監督)、インペリオから関根充を加えている。

もう1つ、充実したことがある。それは、2004年7月、教育リーグのスタートである。いわゆるサテライトリーグのことで、戦力強化には若手の育成が不可欠であるとの判断から、関東リーグの有力チームが集まって、私的な下部リーグをつくったのである。人数が多く集まり、出場機会に恵まれない選手がいる事情もあった。ほとんどの関東リーグのチームが参加したが、練習メニューや時間も違い、明確にサテライトとして区別しているチーム、区別なく、練習もトップと一緒で出場機会だけないメンバーが多くいるチームなど事情はさまざまであった。しかし、それだけ人数が多くいたということは事実で、関東リーグのピッチに立つということが、フットサル選手にとって1つのステータスになりつつある証拠であった。そして、この努力がFリーグ設立につながったと思うと、関係者の努力に敬意を表したい。

なお、コートはミズノフットサルプラザ味の素スタジアムの好意により格安で提供してもらった。また、審判は当時、関東圏のフットサル審判員の有志20数名が集ったFRSG(フットサル審判スタディーグループ、代表・後藤昭邦)が、審判としてのスキルアップのために協力を名乗り出た。

このように、公的ではない手作り感のある育成リーグまで整備を行い、日本リーグ設立も視野に入れて、ますます充実していく関東リーグであった。

さて、お宝写真は、知る人ぞ知る教育リーグの会場、ミズノフットサルプラザ味の素スタジアムの1シーンにしよう。早く関東リーグの試合に出たい選手同士の激しいぶつかり合いで、ピッチは熱気にあふれていた。観客席などなく、特に告知をしているわけでもないのに、ファンも多く集まった。懐かしく思う読者もいるだろう。写真には、特に熱心にサポートしたFRSG代表の後藤が写っている。後藤は、東京都電動車椅子サッカー協会副会長を務めるなど、電動車椅子サッカーの普及にも尽力、貢献した。

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