更新日時:2025.12.31
【引退セレモニー/全文掲載】選手兼代表理事・皆本晃、満員のラストホームで伝えた感謝の言葉「こんな景色が実現できると、誰が想像したか」

PHOTO BY伊藤千梅
12月29日、メットライフ生命Fリーグ2025-26シーズン ディビジョン1の第22節、立川アスレティックFCvsY.S.C.C.横浜が、アリーナ立川立飛で行われた。
今シーズンのホーム最終戦は、同時に、今シーズン限りでの現役引退を表明した選手兼代表理事・皆本晃にとっても最後のホームゲーム。クラブのフロントマンのラストマッチを見届けようと、会場には立川にとって最多観客動員となる2529人が詰めかけた。
皆本はアシストを記録し、試合も3-0で勝利。皆本はこれまで、“ここぞ”という試合で、結果を残し続けてきた。“ビッグマウス”と呼ばれた男は、最後まで有言実行男だった。
引退セレモニーは、暗転したピッチ中央で皆本がライトアップされる演出。大きな3つの花束の贈呈が行われた。奥様、2人の息子の家族が登場し、長男が手紙を読み上げた際には、皆本だけでなく、会場中に観客のすすり泣く声が響いていた。

波乱万丈のフットサルキャリアだった。2年間の海外挑戦、両ヒザの前十字靭帯損傷・断裂。日本代表としてワールドカップに出場。大会直後、クラブ解散の危機。社長就任。選手兼任で戦った3年間。「絶対にできない」という周囲の言葉に抗い続ける生き様だった。
数々の困難を乗り越えた先につくり出した最後のホームゲームが、このクラブを再建させた証だ。満員のアリーナに包まれながら、皆本は万感の思いで最後の言葉を綴った。
「話が長い」ことで有名な皆本が、「長くなるけど聞いてほしい」と懇願した、約17分間におよぶロングスピーチ。スポンサー、ファン・サポーター、選手、家族へのメッセージ、これからの誓い──。涙あり、笑いありの皆本のラストメッセージを全文掲載する。
※ほぼ編集なしの全文ママで掲載
皆本晃、感謝の言葉

本日は、年末のお忙しい時期に私たちのホームゲームにお越しいただき、誠にありがとうございます。
キャプテン(上村充哉)が言ってくれたように、4年前、府中から立川に移転してきてホームゲームをやった時、応援に来てくれた人もいたけど、こんな景色ではありませんでした。
そして、こんな景色が実現できると、誰が想像したかと思います。
信じていた人が何人いたかと思うんですけど、ここにいるすべてのみなさんの支えのおかげで、このような、こんなに素晴らしいホームゲームができるようになったことに感謝しています。本当にありがとうございました。
先ほど、私の選手人生の振り返り動画、ヒストリーを見ていただいたと思います。18歳の時に府中でフットサルと出会って、その時はこんな未来は描いていませんでした。そして、こんなに怪我が多いフットサル人生を送ることも、まったく想像していませんでした。
ただその度に、「強い気持ちで」と言っていただいたんですけど、本当に現場で支えてくれるスタッフのみなさん、特に(トレーナーの)トメさんを中心に、これまでたくさんのOBのスタッフが支えてくれたおかげで、こんな年齢まで競技を続けることができました。
これまでに手術を2回して、今年は手もやったので、3回手術をしました。肉離れも、前も後ろも全部やりました。そんな選手がこんな長くプレーできたのは、スタッフのみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。
(会場が一瞬明転)
お、明るくなったか。まだ全然終わってないんです。すみません。長引いちゃったんで(話を)巻こうと思っていたんですけど、ちょっと話したいことがいっぱいあるので、今日だけはお付き合いください。今日以降はそんなに話すことはないと思いますので、ぜひお付き合いください。
感謝を伝えるべき相手はまだまだたくさんいます。
まずはパートナー企業のみなさん。私が社長になって、府中から立川に移転する決断をした時に、「立川に来るんだったら応援するよ」と言ってくださったパートナー企業のみなさん。府中から立川に移動するなかでも「支援は続けるよ」と言ってくれた方。府中から立川に移転する時に残念ながら離れてしまった方もいましたが、すべてのみなさんの力があって、今ここに立川アスレティックFCは存在しています。
YouTube(のドキュメンタリー)で見ていただいたかと思いますが、このクラブがここにあることは当たり前ではありません。その方々が支えてくれたおかげで、今ここにこれだけ多くのお客さんが集まって、試合ができる状況になっています。
また、ファン・サポーターのみなさんも同じです。普通ではありえない、近隣で地域を移動する、そしてホームのユニフォームの色も変わる。茶色から青になるという経験をするサポーターはほとんどいないと思います。それでも「アスレが頑張るなら」「晃がやるんだったら応援するよ」とずっとついてきてくれたみなさん、本当にありがとうございました。
そして、立川に移転してから応援してくれたみなさん。みなさんが、私たちがここでチャレンジを始めた時に「アスレ応援しようかな」「頑張ってるし」と思って、応援を続けてくれたおかげで、まだこのクラブがここにあります。本当にありがとうございました。


ファン・サポーターだけじゃなくて、選手たちも本当に頑張ってくれました。
もう理由は一緒です。私が社長になると言って、何ができるんだと、きっと思ったはずなんですね、選手たちも。あの時からプレーしている選手も何人かいます。府中から立川に移動する。選手が社長になるという状況で、もうあの時に、このクラブは終わってもしょうがない状況だったと思います。沈みかけの船を降りるという決断をしても、まったくおかしくない状況だったと思うんですね。
でも、僕の夢やおまじないなのかわからないですけど、「絶対なんとかする。だからついてきてほしい」と言ったことを、信じてここまで戦ってくれて本当にありがとう。
まだまだ、4年経ってクラブの状況は変わってきています。ただ、事業規模で言ったら、私たちは降格争いをしてもまったくおかしくない状況です。まだまだ選手たちに素晴らしい環境を用意できている状況ではありません。
にも関わらず、選手たちが歯を食いしばって頑張ってくれたおかげで、今日のゲームを見てください。3-0でしたけど、内容も圧倒しましたよね。
彼らがこの4年間、本当に頑張ってくれたおかげで、アスレの“格”を守ってくれた。本当に感謝しています。ここでもし下位に沈むようなことがあったら、アスレはそのまま終わっていたと思います。
ホームゲームも、なんだかんだ言っても、やっぱり最後は勝たないとお客さんは喜んでくれない。それをずっと口を酸っぱく言い続けてきましたけど、彼らもそれを体現してくれて、毎試合のように必死に戦って、優勝は届かなかったけど、ホームゲームにほとんど勝ってくれました。順位だって、下位リーグになるようなことは一度もありませんでした。キミたちがここで頑張ってくれたおかげで、今このクラブがあります。
ただ、私は選手としてリーグ優勝という夢を叶えることはできませんでした。今度はキミたちがリーグ優勝できる舞台、環境を私が用意してみせます。だから、キミたちもここで優勝してほしい。リーグ優勝を叶えてほしい。それはファン・サポーターと共に一緒になってこのクラブで優勝する。それが大きな価値を生むと思うので、一緒に頑張ってほしい。
もうピッチで私は貢献できないですけど、みんなならもうできると思うから心配していないです。ありがとうございました。




そして、事務局スタッフのみなさん。私が社長になって、まずはじめに饗場(健)くん(広報→監督→営業など)がコメダコーヒーで「アスレに入れてほしい」と言ってきて、本当に大丈夫なのかなと僕自身が思っていました。
その後、城地(駿哉)くん(営業→広報など)がタートルネックの服でロイヤルホストに面接に来て、本当に大丈夫かなと、僕も、城地もきっと思ったはずです。
でも、僕は彼に言いました。
「お前、やれんのか」。彼は何も考えず「やります!」
何をやるんだと僕は思いましたけど、でも、こんな泥船に一緒に乗ってくれて、チームをスタートして、始めは高松町にある立川で一番古いと言われるマンションの9階から始めました。ワンルームですごく汚い、何もないところでした。
でも、あそこが新しい出発点だったなと今でも思います。


そういった経験があって、今少しずつこれだけの多くのお客さんが集まるようになってきました。この後に水地(巧騎)くん(事務局など)が、入りたいのか入りたいのかよくわかんない連絡をたくさんしてきて、「お前どっちなんだ。やりてえんだったらやれよ」って言ったら、「やります!」と。宮崎(勇樹)くん(事務局など)もわざわざ大阪から出てきて、「大丈夫?」って聞いたら「頑張ります!」と。


社長として僕の器って、まだまだこんなもんです。まだまだ何もできないです。そんな中で、インターンの子たちだったり、業務委託で手伝ってくれている(渋谷)明日香だったり、(井上)健さんだったり、パートに来てくれている2人の女性もいます。
そういったなかでクラブが今、前に進もうとしています。いつも私は「いいからやれよ」と、今の時代ではありえないような指示をずっと出しているかもしれないです。でも、それにめげずについてきてくれて、本当にありがとうございました。今このクラブがあるのもキミたちのおかげです。本当にありがとうございました。
長くなりすぎたんですけど、もう少しだけお付き合いください。最後に家族にメッセージだけ送らせてください。
まずは、お父さん、お母さん。
僕のことをずっと一番に子どもの頃から応援してきてくれて、フットサル選手になった後も、試合に出られない時も、どんな時も試合に応援に来てくれました。試合に負けると「お前が点を取らないから勝てねえんだ」と、いつも厳しい言葉をお父さんはかけてくれました。でも、いつも必ず応援に来てくれます。今日も来てくれています。
お母さんも一緒です。うちの母はどんな時も私のことを励ましてくれました。「あなたならできる」とどんな時も言ってくれました。そんななかで、私がゴールしたり、大事なゲームで勝つと、お母さんはいつも喜んでくれるんじゃなくて、「ほらね」といつも言ってくれました。うちの母は、私のことをずっと信じてくれていました。だから、これだけ自己肯定感の高い選手になれたんじゃないかなと思っています。本当にありがとうございました。
さっき手紙を読んでくれたジョウとアサヒ、いるかな。見えてる?
手紙でも言っていたけど、僕は選手の時も海外遠征が多かったり、練習が優先だったので、ほとんど一緒に過ごすことができませんでした。またこの4年間、社長になってからは、より一層時間がなくなり、彼らと過ごす時間は本当になくなりました。
父親として、僕は彼らに何かできたのかわからないですけど、1個だけ彼らにとって憧れのお父さんで、ずっといたい。これだけは実現しようと思って、どんな時間がなくても「お父さんはかっこいい」「お父さんはいつも夢を追いかけている」「だから大きくなったら、お父さんみたいになりたい」と、彼らが思ってくれる毎日だったり、人生を過ごしていきたいなとずっと思っていました。
それが叶えられているかどうかわかりません。これからももっともっと忙しくなるかもしれないけど、でも彼らにとって、「一番かっこいいのは俺のお父さんだ」と言ってもらえる人生を送りたいなと思っています。これからもよろしくね。




最後に、私の妻にお礼を言わせてください。私は妻と、18歳の時に出会いました。19歳の時から一緒にいて、20年間、もうずっと一緒にいます。
僕が破天荒な人生の選択をするから、彼女の第一声は当たり前なんですけど、毎回「なんでそんなこと決めてきたの」「なんでそんな人生にしたの」「どうやって責任とってくれるの」と、いつもすべての部分に大反対していました。
彼女は文句をずっと言います。「ありえない」。昨日の夜も「あんたが選手をやめれば、こんなちゃんとしたご飯を作らなくていいのに」「こんなに疲れてるなか、なんで私は普通の人よりこんな料理を作らなきゃいけないんだ」と言われました。
でも、文句はいうけど、絶対に用意してくれます。僕がお願いしたことは、文句は言っているけど、叶えてくれなかったことは、一つもないです。すべて叶えてくれました。
これからも僕はいろんなことにチャレンジしていきますし、今以上に迷惑をかけると思うけど、これからもずっと側で支えてください。本当にありがとうございました。
もう僕は、このピッチでプレーすることはできません。こんな素晴らしい引退セレモニーを、自分を中心につくりました。
でも、この引退セレモニーをつくったのは、ここにいる選手たち、子どもたちが、いつかこんな形で現役選手を引退したい、みんなに送り出されながら現役を引退したい、そしてこの立川で引退したいという夢をもってもらうために、これだけ大掛かりな引退セレモニーを開催させてもらいました。
たぶん、Fリーグでここまでやってるクラブはないです。サッカーだって、ここまでやってるクラブはないかもしれないです。でも、ここにいる、集まってくれている子どもたち、そして選手たちが、いつかここに立ってみんなに見送られることを夢見て、頑張ってほしいなと思ってここにつくりました。
そして私はこの後、選手を引退して、社長としてこのクラブをもっともっと前に進めていきます。必ずFリーグでも一番のクラブにする。そして立川と、立川を中心に、この多摩地域のみなさんにとって、「立川にはアスレというフットサルクラブがある」という誇りをもってもらえるようなクラブを、これからみなさんと一緒につくっていきたいなと思っています。それが私の次のチャレンジになります。
選手としてはこれで最後ですが、これからもみなさんと一緒にこのクラブを前に進めていきたいと思います。以上です。長くなりましたが、本当にありがとうございました。

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