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作成日時:2019.06.21
更新日時:2019.06.22

【アジア王者を目指すキミたちへ】大学フットサルとFリーグの“掛け持ち”を経て。「思い切り楽しんで、一瞬一瞬のプレーを大事に」(石田健太郎)

PHOTO BY川嶋正隆

【U-20日本代表全力応援企画】アジア王者を目指すキミたちへ MESSAGE 6

2017年大会は、大学生としてU-20日本代表に選ばれた。石田健太郎は、多摩大学フットサル部に所属しながら、特別指定選手としてバルドラール浦安でFリーグも戦っていた異色の経歴の持ち主だ。

「大学の代表」を強く意識していた石田が、今度は「国の代表」になった。

しかし、決意とは裏腹に、結果は準々決勝敗退と振るわず。敗れたイラク戦を「フットサル人生で一番悔しい試合」と振り返るほどの悔しさを味わった。ただし、そのことが逆に、彼を大きく成長させた。

石田があの大会で感じたことは、そのまま、次の世代へのメッセージでもある。

※6月17日(月)にインタビューを実施

イラク戦はフットサル人生で一番悔しい試合

──大会前は多摩大学に所属しながら、特別指定選手として浦安でプレーしていました。

大学に行きながらFリーグでプレーしている選手は他にはいませんでした(※大学のフットサル部とFリーグの“掛け持ち”選手がいなかった)。大学では自分が引っ張っていく必要がありましたが、浦安ではベテランの方がたくさんいて、多くのことを吸収して、それを大学に落とし込む。自分にしかできない特別な環境でしたね。

──その状況で、さらにU-20日本代表にも選ばれました。

選手を続ける上で、目指すべきところは代表チームです。当時は大学の代表でもあると思っていましたし、今度は国を代表して戦う機会をもらいました。絶対にアジア王者にならなければいけないな思って臨んだ大会でした。

──他の選手も話していましたが、「俺たちはアジア王者になれる」という自信はどこにあったんですか?

選手一人ひとりのクオリティの部分ですね。合宿の回数は少なかったですが、質の高さは感じていました。そういうメンバーが集まって、自信を持ってプレーしていたので。

──ただ、結果は満足のいくものではありませんでした。

2戦目と3戦目の引き分けのことを覚えていますね。2試合ともに残り数秒で追いつかれました。相手はパワープレーを仕掛けてきたのですが、あまりパワープレーの練習をできていませんでした。それでも、各選手はそれぞれのチームで練習をしていましたし、もっとうまく対応できたはずだなと。ただ、次の4戦目で勝てばいいだけでしたし、悲観はしていなくて、そこで結果を出すことだけを考えていました。

──グループステージを2位で通過して、準々決勝でイラクと対戦。

イラクは前評判がよかったですが、ゲームは8割くらいは自分たちが支配していた印象です。先に失点してしまいましたが、点を取れるだろうとみんなが思っていました。でも、時間が経つにつれて少し焦りが出始めて。後半も落ち着いてやれていれば得点できたと思います。

──焦りは、国を背負っているプレッシャーも影響していた?

そうですね。やはり日本代表ですし、少なからずプレッシャーはありました。得点できない時間が続いていたことで、それが焦りに変わっていきましたね。

──敗れた悔しさや、プレッシャーは、舞台に立たないと経験できないこと。改めて、あの大会でどんなことを得たのでしょうか。

自分としても初めての代表活動でしたし、ピッチで歌った国歌斉唱は鳥肌が立つほどのことでした。ベスト8で敗退した後にみんなで話したのですが、「この悔しさを晴らすためにも、A代表に上り詰めて、またみんなで戦おう」と約束しました。今は特に、あの大会の世代の選手が、各チームで主力としてプレーしています。

【次ページ】敗退後は解散したくない思いも

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