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2019.10.04

【荒牧太郎×星翔太・親友対談/前編】背中を追い掛けて、追い付いて、一緒に歩いて。「翔太がいなければブラジルには行かなかった」(荒牧)

PHOTO BY名古屋オーシャンズ

荒牧太郎と星翔太は、およそ10年前から、同じような道のりを歩んできた。FUGA MEGURO(現フウガドールすみだ)で本格的にフットサルに打ち込み、日々、切磋琢磨しながら、ときにブラジル修行に打ち込み、2009年の全日本選手権では、今もなお伝説として語り継がれる「奇跡の優勝」を果たした。

その後、鳴り物入りでバルドラール浦安に加入してFリーグを経験した後、1年後に星が、次の年に荒牧が、スペインへと渡った。海外挑戦を終えて浦安に復帰してから、彼らは再び一緒にプレーを続けてきた。

星は前線で起点となり、勝負を決められるピヴォとして、荒牧は後ろから守備とゲームメークでチームを支えるフィクソとして、ピッチ内外でチームをけん引するベテラン選手へと成長を遂げた。2人がポジション以外で唯一異なっていたのは、星は日本代表に選ばれ続けたが、荒牧は海外遠征止まりだったということ。

ただし、それぞれの境遇で学び得たものを共有して、昇華しながら2人で1本の道を進んできた。

しかし2018年、彼らの前に分岐点が現れる。偶然か必然か、彼らは浦安からの移籍という道を選んだ。

星は名古屋オーシャンズへ、荒牧はヴォスクオーレ仙台へ。

別々の道を歩き出した2人はその後、どんな景色を見てきたのだろうか。

彼らはもはや、ただ敵同士のライバルでも、同じクラブでプレーしてきた元チームメートでも、ただ仲がいいだけの親友でも、もちろん家族でもない。もはやそういった言葉を超えた、感覚的に通じ合う関係かもしれない。

2人の出会いと進んできた道のり、分岐後の2年間、そのすべてをさらけ出してもらった。


■後編はこちら(インサイド・オーシャンズ/有料記事)
【荒牧太郎×星翔太・親友対談/後編】2人で1つの未来を見据えて。「日本フットサルを強くするために若い選手をどうしていくのか、世界一になるにはどうするべきか」(星)



「翔太が行くなら自分も行かなきゃダメだろうと思った」(荒牧)

──今回は、2人が長い間、話し尽くしてきてもなお尽きることのないお話を聞けたらいいなということで、対談を企画させてもらいました。改めて伺いますが、本当の意味での最初の接点は?

荒牧 いや、やっぱりフウガですよ。

 出会いというか、やはり一緒にブラジルに行った記憶が鮮明。民間大会優勝の副賞としてチームで行ける機会をもらって、10数人で参加しました。ものすごく時間があったので、2人でよく話をしましたね。

荒牧 (前身チームの創設メンバーでもある)フトさん(太見寿人)や(木村)幸司さんは仕事で来れなかったこともあったし、僕はフットサルを始めたばかりだったから、せっかくの機会ということで使ってもらえた。そこで翔太と話す機会もたくさんあったよね。

 もともと絡む機会が少しはあったよね。(フウガの前身の)「森のくまさん」で出場した大会を見に来ていたし。共通の先輩がいたからよく同じ空間にいたし、当時から体の強さや基礎技術の高さは知ってた。同年代の選手では(佐藤)亮や(瀬川)昂暁、(渡邉)知晃がいたけど、東京出身ということでは特別ではあったかな。とは言え、今みたいな関係になるとは思ってなかった。普通に切磋琢磨し合う仲間の一人。

荒牧 そうそう。

 お互いに同年代の一人だったけど、フウガでのシーズンを過ごしながら感じたことと、ブラジルでの濃い生活のなかで関係性が深まっていった。

──2人ともブラジルに残ったんでしたっけ?

荒牧 いえ、僕だけ2週間ほど残りました。

 僕はまた次の年の5月くらいに一緒に行きました。

荒牧 残りたいやつは残れるぞって、ノリだったね。でも次の年は、翔太が「行かなきゃダメだ」って言ってて、だから自分も行かなきゃダメだろうって感じてた。

 そうだったっけ(笑)。

荒牧 もう代表候補とかに呼ばれてたでしょ?

 そうだね。フウガではある程度、確立されちゃっていたから。でも、代表に行くと戦術とかが全くわからなかった。これは一度トップの国に触れないとダメだなと。自分の殻を破りたいという発想だと思う。

荒牧 行くなら早い方がいいだろうなと。3、4カ月くらい行ってたよね。

 俺はまた先に帰って、太郎だけ残った。

荒牧 翔太は卒論をしてたし(笑)。俺は卒業してから行ったけど、翔太は休学して行ったからね。

 そう、だから戻らないといけなかった。

荒牧 でも本当に濃い時間だったね。

──どんな生活をされていたんですか?

 もう練習しかしていなかった。

荒牧 街に遊びに繰り出すこともなかった。寮みたいな場所から練習場に行って、そこでお昼ご飯を食べて、夕方に練習があるなら練習して。練習がなければ、何もしない。

 本当に何もしなかったね。お金をもらっていたわけでもないし、あっちで仕事をしていたわけでもない。遊びに行っていたわけでもないし、遊ぶ場所もないような場所だったしね。いやぁ、濃かった。僕らが行ったカスカヴェウというチームでは、ジョガーダ(パターンとして型が決められているサインプレー)というものがあって、それが9個あって。覚えるのが大変だったよね。

荒牧 そうそう。練習メニューも通訳はいないからわからないしね。最初は仲間の動きを観察して「じゃあ俺が行ってくる!」って入って行って、(監督やコーチから)「違う!」と外されて、「違ったわ……」って戻ってくるみたいな(苦笑)。

 まずは観察するところからだったね。

──言葉は少しずつ覚えていったんですか?

荒牧 最初は辞書を使っていたよね。電子辞書じゃなくて、分厚い本のやつ(笑)。

 あとは指差し会話帳も使っていたね(笑)。

──そうやって少しずつ仲間に認められていった。

荒牧 年齢の近い選手と、ベテラン選手がいたのですが、マウイー(ブラジルの名門クラブ)のジュベニール(ユース年代)から来ている選手がいて、彼らは年齢が割と近かったから打ち解けていましたね。

 当時の選手は今でもリーガ(ブラジルのナショナルリーグ)のトップでやってるよね。あとは、日系ブラジル人のイサムという選手がいて、日本語はできないんだけど気に掛けてくれていた。

──その環境に飛び込めるのは、やらなきゃいけないという感覚から?

荒牧 なぜだろう。若かったから?

 僕はやはり停滞感みたいなものがあったから。そこを乗り越えて、フトさんよりもいい選手になるためには、このままではダメだなという感覚。仕事をするのかしないのかを決めるときに、フットサルを選ぶのであればブラジルに行かなければいけないなということを思っていましたね。

──荒牧さんは、そういう星さんの行動に引っ張られる形だった。

荒牧 まさにそう。フットサル界のことは何もわかっていなかったですから。でもみんな遊びじゃないことは知っていたから僕も真剣でした。だから、年齢が近くて代表に呼ばれるような選手が「ブラジルに行かないといけない」って言ってたら、自分も行かなきゃダメだろうって思うじゃないですか。翔太が言わなければ絶対に行かなかったと思う。そういうきっかけをもらいましたね。

──全日本選手権優勝という一つの結果を手に入れて、次のステージに移行しました。その当時から、Fリーグに移籍する話題など、何か2人で話していたことはありますか?

 「クラブどうする?」みたいな話はしていなかったよね。

荒牧 うん、そこまで考えていなかった。

 むしろ、ブラジルから帰国して「フウガでもっとこういうことができるよね」みたいな話をよくしてた。戦術的な細かいところもそうですけど、もっと根本的な「ゴールを目指さないといけない」というような。当時のフウガは旋回(という戦術の一つ)を使って、クワトロ(というシステム)を取り入れていました。段階を踏んでいろんな戦術に取り組んでいたので、あの時期の関東リーグでは最先端というか、ダントツの存在。選手権で優勝できましたけど、戦術に染まっているというか、うまくやることを意識していたように思います。でもブラジルでは、ゴールを目指す意識が強い印象だった。そういうところを話していましたね。

──将来のことというよりも、チームや自分のレベルアップに目を向けていた。

荒牧 2回目のブラジルで、翔太が帰国してからはそれまで以上に一人の時間が増えて、考えることが増えましたね。チームメートよりも、俺や翔太の方がうまいと感じることがあっても、彼らはプロとしてやっている。でも自分は、帰国したらアルバイトをしながら続けないといけない。ということは、ここから差が開いていくんだろうなって。だからこそ、プロ化していかなきゃいけないと思い始めました。20歳前後では全然負けていなくても、25歳とか30歳になる頃にはものすごい差を付けられてしまうんだなと。とは言え、フットサル界に知り合いも少なかったですし、帰国してからしばらく実行できていなかったですね。

 まだその頃は、チームをよりよくするとか、チームが勝つためにどうするのかって部分に寄ってたよね。それが全日本の優勝につながったけど、その結果も、相手より何かが優れていたから達成できたという感覚は全くなかった。フウガ優勝のストーリーは「奇跡」だと言われますけど、まさに奇跡的ではある一方で、僕らからすると、現実的な策に向き合った結果たどり着けただけ。個人としての差を改めて見せつけられた。

──優勝したからこそ倒した相手の強さを実感した。

 名古屋戦は特に、パワープレーから簡単に何点も決められたりしましたからね。でも、全員が(相手の方が実力があるという)その現実と向き合いながら愚直にやり続けたからこそ、ああやって勝った。個でどうこうできたわけじゃないから、もっといい選手にならないとなってことを感じていました。

荒牧 (全日本で優勝したからといって)調子に乗れるような隙は全くなかったよね。

【次ページ】「バトンを受け取れたからスピード感を持って進めた」(星)

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